なぜ生きているか
なにも考えずにただ勉強して小・中・高と学生をやっていられた時期は最高に幸せだったかもしれない。
というよりも他人と比べて落ちこむことといえば、成績くらいだったような気がする。細かいことは他にもいろいろあるけれど、学生時代の悩みは勉強のことと友人関係が圧倒的に高かった。
幸いにも友人にも恵まれ、人間関係で苦しむことは滅多になかったし、うまくいかないことがあっても必ず味方がいて、救われていた。
自分で自覚していたけれど、社会性とか協調性がわたしにはあまりなかった。
集団行動に意味なんて見出せなかった高校時代。
「みんなで〜、一緒に〜」だなんて気持ちが悪かった。
大人からすれば扱いにくい子。
大人になれってよく言われるけれど、大人の言う大人になれってなんだろう?
おとなしくいうことを聞いて、文句も言わず従順。
主張なんてもっていたら反感を買うし、ある程度媚びないといけないのかもしれない。
わたしには自分の主張だらけだし、他人に媚びるなんてしない、無意味だと思う。
大学なんて行くことがあたりまえという概念、その後の就職までして普通のあたりまえの人間。
わたしが選んだ大学は創作活動ができると思ったからであって、就職をするためなんかじゃあない。むしろ就職するなら他の学科に行っただろう。
大学卒業して、就職活動もせず、特別な才能が見出されたわけでもないわたしは世間では最高にくだらないフリーターってところか。
就職は立派だ。
でも就職は負けだとも思う。
わたしはまだ戦っている最中である。
はたから見て負け犬でもいい、納得のいくことを納得のいくまでやりたい。
納得のいかないことはやりたくない。
わたしにあるのはそれだけだ。
生きていくうえで「納得」は大切かもしれない。
わたしはわたしが今こうして生きていることに納得ができない。
詩人になりたい、ただそれだけに縋って生きている。